九寨溝・黄龍 旅行 その23

2010.10.16

成都で(1)

 

 九寨黄龍空港→成都

雪宝頂?(離陸間もなく) vv2_4129

飛行機の窓から

 

 陳麻婆豆腐店

店に入る vv2_4162

 

麻婆豆腐 vv2_4168

 

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 武侯祠

 もともとは蜀(四川省)の君主・劉備玄徳を祀る霊廟。後に諸葛孔明を祀る武侯祠が併合された。入り口に劉備の諡号「昭烈帝」から命名された漢昭烈廟の金看板が掲げられているが、市民は漢昭烈廟と呼ばないで武侯祠と親しんでいる。武侯祠の 「武侯」とは「忠武侯」と贈り名された諸葛亮を指し、彼を祀る霊廟を意味する。赤壁に囲まれた廟は4万平方m。敷地内には劉備殿、諸葛亮殿、劉備墓、文臣廊、武人廊などがある。

入口 vv2_4191

 

入口(漢昭烈廟の金看板) vv2_4187

 

案内図 vv2_4192

 

劉備殿の入口 vv2_4203

 

劉備玄徳像 vv2_4208

 

前出師表 vv2_4216

 

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 「出師表」(すいしのひょう、「出師の表」)とは、臣下が出陣する際に君主に奉る文書のこと。「出師」とは「師(=軍隊)を出す」ことであり、「表」とは公開される上奏文を指す。三国時代蜀の丞相であった諸葛亮が、皇帝劉禅に奏上したものが著名であり、断りのない限り、「出師表」とはそれを指す。

 「前出師表」とは建興5年(227年)、諸葛亮が主君の劉禅に奉った上奏文。自分を登用してくれた先帝劉備に対する恩義を述べ、あわせて若き皇帝である劉禅を我が子のように諭し、自らの報恩の決意を述べた文である。古来から名文中の名文とされており「諸葛孔明の出師の表を読みて涙を堕さざれば、その人、必ず不忠」と言われてきたほど、諸葛亮の蜀に対する忠義が如実にあられている。

 諸葛亮が北伐(魏への遠征)に出発する前に、国に残す若い皇帝劉禅を心配して書いたという前出師表の内容は次の通りである。

まず、現在天下が魏・呉・蜀に分れており、そのうち蜀は疲弊していることを指摘する。そういった苦境にもかかわらず、蜀漢という国が持ちこたえているのは、人材の力であるということを述べ、皇帝の劉禅に、人材を大事にするように言う。
さらに、郭攸之・費褘・董允・向寵といった面々の名をあげ、彼らはよき人材であるから、大事にしなくてはならないと言い、あわせて後漢の衰退の原因は、立派な人材を用いず、くだらない人間を用いていたからだとも指摘する。
最後に、自分が単なる処士に過ぎなかったのに、先帝である劉備が3回も訪れて自分を登用してくれたことにとても感謝していると述べ、この先帝の恩に報いるために、自分は中原に進出し、逆賊たる魏王朝を破り、漢王朝を復興させようとしているという決意を述べ、全文を次のように結ぶ。

臣不勝受恩感激 今當遠離臨表涕泣不知所言

大意:わたしは恩をうけたことの感激にうちかつことができません。いままさに遠く離れるにあたり涙をながし、ことばもありません

 

後出師表 vv2_4219

 

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 建興6年(228年)、諸葛亮は劉禅に再び「出師表」を上奏したとされている。この時の文章は「後出師表」と呼ばれている。後出師表の内容は次の通りである。

まず、自分が先帝である劉備から、逆賊である魏を討伐するようにと言われてきたことを確認し、魏の力があまりに強大で、自分の力はあまりにも弱く、このままの状態では蜀は魏に滅ぼされるであろうと述べる。そして坐して滅亡を待つよりは、先手を取って魏を討滅すべきであるとする。しかし、良からぬ輩が、自分の北伐を批判していると述べる。このような批判に対し、6つの疑問点をあげてその批判の不当さを指摘する。

 

諸葛亮殿 vv2_4229

 

諸葛亮孔明像 vv2_4233

 

恵陵(劉備墓)入口 vv2_4245

 

右側が劉備の陵(未発掘のまま) vv2_4246

 

 三国文化陳列室

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各瓦の先端には怪獣の顔が vv2_4260

 

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