エジプト旅行 (再訪)
2012.12.16〜23
今回の再訪は、前回と同じコースであったので、目新しさはほとんど無かった。従って「試選」も、目新しいもの中心の結果となった。
(この目次ページでは、あまり負担なく全体を概観できるように内容を整理しております。より詳細な内容が必要な部分については、逐次掲載したときの目次からご利用ください。また、前回の方が良い写真も少なくありませんので、関心をお持ちになったときは、前回の内容もご覧ください。)
観光先の写真
・カイロ → ルクソール: 空からの眺め
・ルクソールで ルクソールでの観光先地図
・カルナック神殿 地図
(地図の出典:http://www005.upp.so-net.ne.jp/nanpu/history/egypt/maps/karnak_luxor.html)
概要:ルクソールのナイル東岸に位置するカルナック神殿は、複数の神を祀る神殿複合体で
あるが、創建は中王国時代(BC2000年頃)とされる。第18王朝時代(BC1500年頃)に現在と
同程度の規模にまで拡充された。その後、BC200年頃まで寄進が継続された。ローマ支配の
時代に入り、異教と見なされて、その存在が忘れられて行き、再発見されるまで約1400年間、
砂に埋もれていた。詳細は、例えば次に説明されている。
http://www005.upp.so-net.ne.jp/nanpu/history/egypt/maps/karnak_luxor.html
概要:ルクソール神殿は当初、ナイル河の増水期に、カルナック神殿に祀られているアメン神の
聖船を避難させ、一時安置させる(オペト祭の)場所として建設された(BC.2500年頃)。
ラムセス二世の頃最盛期を迎え、その後衰退傾向となるが、カルナック神殿のように忘却
されることなく継続利用された。13世紀ころ、イスラム支配の時代にモスクが増改築され
今日まで利用され続けている。
・ナイル河の風景 (ホテルから)
・ナイル西岸:死者の町(メムノンの巨像、ラモーゼの墓、ハトシェプスト女王葬祭殿)
・アブ・シンベル神殿
・カイロ
・近郊南部のピラミッド(屈折ピラミッドと赤のピラミッド、ラムセスの巨像、階段ピラミッド)
・モハメッド・アリ・モスク(ガーマ・ムハマンド・アリ)
・ギザの3大ピラミッド 配置図 (出典:
http://www005.upp.so-net.ne.jp/nanpu/history/egypt/maps/pyramid_of_giza.html)
概要:ギザのピラミッド群は、約4500年前、古王国時代、第4王朝に建造された。
最初の建造はクフ王のもので、高さは当初146m、底辺230mの正方形で、世界最大の
規模となっている。完成までに20年を要したとされる。次に作られたのがクフ王の次男、
カフラー王のもの、3番目がカフラー王の息子、メンカウラー王のものである。
それぞれピラミッド単体ではなく、葬祭殿、参道などを含む複合体(コンプレックス)
として建造されている。
人々の生活風景 (バス車窓からのスナップ)
最近の旅行では、カメラの性能向上と相まって、バス車窓からスナップ写真を撮ることが多くなった。現地での人々の生活風景への関心が高まっているためである。走っているバスからの写真は、対象をゆっくり観察してからシャッターを押す、というようなゆとりはまったく無い。とりあえず撮影して、後で眺めるという方法しか無い。
今回はルクソールで、カルナック神殿からホテルまで10分弱の間に撮影した写真を重点的に観察して、どのような事柄が推察できるかを試して見た。この方法はKJ法と類似の方法であり、旅行をもう一度楽しむことができ、老化への対処としても役立つ。
(KJ法とは、文化人類学を専攻していた京大の川喜田二郎氏が考案した創造性開発の手法である。文化人類学の研究手段としてフィールドワークという調査方法があり、研究対象とする集団の日常生活を観察し、活動の各場面をそのままカードに記録し、後で多くのカードを広げて、活動の意味を推論していくことにより、集団の規律、慣習などを明らかにして行こうとする方法である。カードからの推論が創造性開発の実践にも当たるところから、創造性開発の手法として応用された。スナップの各写真ショットはまさに各カードに対応する。)
時間のゆとりと関心があれば、1枚1枚を拡大写真でゆっくりと観察することにより、エジプトの人々の生活や風俗について、新しい発見があるかもしれない。
・ルクソールからアスワンへ(約3時間半) 移動の軌跡
・カイロ