プラハ・ドレスデン・ベルリン クリスマスの旅 その5

2014.12.08-16

写真クリックにより拡大

 

 プラハ東部map

 

ユダヤ人地区

 960年代に、ユダヤ人の存在がはじめて記録に残されている。10世紀末にはプラハに商人らによるユダヤ人居住区が形成された。その頃は、ユダヤ人も居住の自由や商業活動の自由が認められていた。

 1215年、第4ラテラン公会議(カトリック教会の代表による公会議:教義・典礼・教会法などについて審議決定する最高会議)において、「ユダヤ人とイスラム教徒への特別な服装の義務づけ」が含まれていたことから、ユダヤ人迫害が開始された。

 その時々の支配者の意向により、弾圧の程度に大きな振幅はあったが、1867年のオーストリア=ハンガリー帝国憲法の制定まで、法的な差別が続いた。

 ユダヤ人を毛嫌いし、その追放を命じた支配者たちも、ユダヤ人の持つ資金力への依存から、追放を貫徹することはできなかった。

 大きな虐殺として、1389年に、プラハ司祭たちの扇動により、3000人以上のユダヤ人が殺害された。ナチス・ドイツ期には、プラハ・ユダヤ人5万5000人のうち3分の2がナチス強制収容所において死亡した。

 

中央の赤い屋根が旧新シナゴーグ(地点31から) DE_07954

 

奥がHigh Synagogue(地点33) DE_07955

(地点31の近くから)

 

上図の右端の家、RichteR DE_07956

 

旧新シナゴーグ

 1270年頃に建設された。現存するヨーロッパの最古のシナゴーグと言われている。「旧新」と呼ばれているのは、13世紀に建てられた部分と16世紀に建てられた部分の二つから成っているため。

 隣接する建物がなかったため、ゲットーでしばしば発生した火災にも巻き込まれず、今日まで現存。

 ギザギザの屋根が印象的な初期ゴシック建築。

 今日でも唯一、シナゴーグ(ユダヤ教会)として機能。

 ラビ・レーヴのゴーレム伝説:ラビが呪文を唱えると泥人形に魂が吹き込まれてゴーレムとなり、虐げられるユダヤ人を守るために夜な夜なプラハの街で暴れまわる。使命を終えたゴーレムは泥人形に戻り、今も旧新シナゴーグの屋根裏部屋で眠っている。

 

旧新シナゴーグ(地点32) DE_07957

北方向から見る

 

西面 7s_01155

 

ギザギザの屋根が印象的 DE_07958

 

7s_01156

 

南面 DE_07968

 

旧新シナゴーグの裏側(東面) DE_07971

 

旧新シナゴーグから西を見る 7s_01157

奥に儀式の家が見える

 

儀式の家(地点34) 7s_01158

built in 1911-12 under the direction of architect J. Gerstl

for the Jewish Burial Society (Hevrah Kaddishah)

and is in the neo-Romanesque style.

 

左端が、Klausen-Synagoge 7s_01159

The Baroque building was built in 1689 and was completed

in 1694. It is the largest synagogue of the Prague ghetto and

is the second main synagogue of the Prague Jewish community.

The synagogue features an exhibition of the Jewish Museum

dedicated to Jewish traditions and customs.

 

儀式の家(地点34) DE_07959

 

7s_01164

 

7s_01160

 

DE_07960

 

7s_01166

 

7s_01168

 

墓地の出口 7s_01161

入口はピンカス シナゴーグ(地点37)

 

奥に墓地が見える 7s_01162

 

7s_01167

 

7s_01163

 

儀式の家(地点34)から東を見る 7s_01165

 

DE_07962

 

High Synagogue(地点33) DE_07964

High Synagogue was financed by Mordechai Maisel,

and it was finished in 1568.

In 1689 it was destroyed by the Great Fire.

The synagogue was reconstructed.

In 1883 the synagogue was rebuilt by J. M. Wertmüller,

the facade was simplified to the modern appearance.

In 1907 the eastern entrance was closed, and a new entrance

was made facing Red Street.

Other reconstructions were during 1961, 1974-79 and 1982.

During the Nazi and communist rule, the synagogue was

part of Jewish Museum and there was an exhibition of old

Hebrew books.

 

上図の尖頭部分 DE_07965

 

1階上部にある紋章 DE_07966

 

Restaurant U Stare Synagogy(地点35) DE_07972

(Restaurant at the Synagogue)

Cantinetta Fiorentina is the current restaurant.

 

独特の暗さが漂っている DE_07969

 

Les Moules(地点36) DE_07974

(地点35付近から)

 

ピンカス シナゴーグ(地点37) DE_07691

旧ユダヤ人墓地への入口

 

Potraviny U Havelku(地点38) DE_07692

 

壁のレリーフが面白い DE_07693

 

マイセン磁器のショーウインドウ DE_07696

 

Restaurant Franze Kafky(地点39) DE_07700

(カフカのカフェ、生家、博物館とは異なる)

 

上図の左手 DE_07699

 

上図の左手 DE_07698

 

次へ