プラハ・ドレスデン・ベルリン クリスマスの旅 その8

2014.12.08-16

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聖ヴィート大聖堂 その1

 

 聖ヴィート大聖堂内部map

 

 聖ヴィート大聖堂内部配置(チェコ語)

 http://www.katedralasvatehovita.cz/cs/historie-a-dedictvi/informace-o-kaplich-a-svatych

 聖ヴィート大聖堂の内部ヴァーチャル回転写真

 http://www.katedralasvatehovita.cz/flash/virtualni_prohlidka/index.html

 

 チェコ語から英語への翻訳サイト

 http://japanesetranslation.babylon.com/チェコ語/へ-英語/

 

聖ヴィート大聖堂

 聖ヴィート大聖堂はプラハ城の第3中庭にあり、塔の高さ約99m、内部の幅60m、奥行124mの大きな教会である。正面入口の両側に82メートルの尖塔、中ほど南側に99メートルの鐘楼、中央部にも尖塔、合計4本の塔が外側から見える(4本の塔がすべて見える位置は多くない)。

 チェコにおけるゴシック建築の代表例で、チェコ最大の教会である。大聖堂としては珍しく、城の内部にある。

 最初に、ここに教会が建てられたのは 925 年、 同じ場所に、1096年、新しい教会が建てられた。

  1344年に、ローマの法王がプラハ(神聖ローマ帝国の首都)の大司教を務め、それを記念してカルル4世は、この地に大聖堂を建てる決定を下した。しかし、その完成までには600年という長期間を要し、 1929 年にネオゴシック様式の大聖堂が完成した。(フス派の妨害・戦争、大火などが主要な原因。)

 

 

入口から奥(東にある主座)を見る 7s_00912

網目状リブ・ヴォールトの天井が有名。

ペトル・パルレーシュ(当時わずか23歳)の考案。

クワイヤのベイを斜めに横切るリブが、古典的なゴシック様式の

交差ヴォールトのように1本ではなく、2本ある。網目状にリブが

交差するためヴォールトをかなり補強することができる。交差する

リブが天井装飾にリズム感を生み、ヴォールトのベイと相まって、

大聖堂の長辺にダイナミックなジグザグパターンを生み出す。

 

入口正面にあるバラ窓。直径10メートル(地点A) 7s_00932

フランティセク・キセラのデザイン(1925~1927年)、

聖書の創世記のシーンを表現、ボヘミアングラスを使用。

 

北西端のステンドグラス(地点C) 7s_00913

 

上図左の拡大 7s_00917

 

上上図右の拡大 7s_00998

 

ミュシャのステンドグラス

 チェコの画家アルフォンス・ミュシャが1930年に作成。

 このステンドグラスに描かれているのは、スラヴ世界にキリスト教を広めた、聖キリルと聖メトディウス兄弟の生涯と事蹟であり、聖ヴァーツラフとその祖母 を中心に置き、周辺に兄弟の事蹟を描くという配置になっている。最上部には、両手を広げたキリストが描かれている。

 モラヴィア王国が、東ローマ帝国(ビザンツ帝国)に対し、「スラヴ語でキリスト教の信仰を広めてくれる人物を派遣してほしい」と依頼、それを受けて、キリルとメトディオス(ギリシャ、テッサロニキ出身の兄弟)が派遣された。

 プシェミスル王朝の創始者、ポジヴォイ1世(ボヘミアの君主)は、妻リュドミラとともに、メトディオスからキリスト教の洗礼を受けた。そして880年頃、プラハ城を創設。

 929年、ポジヴォイ1世とリュドミラの孫の、ヴァーツラフ1世は、ドイツのザクセン王朝ハインリヒ1世から、(ザクセンの聖人として崇拝されていた)「聖ヴィートの聖遺物 - 聖ヴィートの腕」、を入手。

 ヴァーツラフ1世は、この聖遺物を収めるために、聖ヴィート大聖堂の前身となる教会を建て、自らも、そこに埋葬され、後に聖ヴァーツラフとしてチェコの守護聖人となった。

 そのような歴史物語の象徴がステンドグラスに描かれている。

 中央上部に、ポジヴォイ1世がメトディオスから洗礼を受ける場面があり、その下に祖母聖リュドミラ、右下に、跪いて祈る赤い服の少年、聖ヴァーツラフが描かれている。少年のモデルはミュシャの息子イジーだとか。

 弟キリルは、スラヴ語を書き表す文字を考案し、キリスト教関係の書物を古代スラヴ語に翻訳。 ステンドグラスの絵で、キリルが本を携えているのは、それにちなんでいる。

 

入口の左側、3つ目にある(地点E) 7s_00995

 

7s_00918

 

7s_00921

 

大司教の墓所

 位置を忘却(多分、北西隅に近く)

7s_00923

 

7s_00924

 

1992年没 7s_00920

 

聖具室に出るための螺旋階段(地点F) 7s_00937

Hilbertova kaple, šnekovité schodiště vedoucí

do síně svatovítského pokladu

Hilbert chapel, šnekovité staircase that led into the hall as treasure

 

上図の近く 7s_00936

 

7s_00939

 

北側の側廊を東(主祭壇方向)を向いて見る 7s_00925

(地点F)付近から。

 

上図の左端(地点G) 7s_00927

F. bílek, oltář s Ukřižováním

F. egg white, with the crucifixion altar with

 

左側、テラスのある部分にパイプオルガン 7s_00922

 

テラスから上方の部分(地点H) 7s_00938

 

向きを右方向に回転させて 7s_00928

(地点H)から西南方向。

 

黄金の門の内側(パイプオルガンの反対側)(地点J) 7s_00930

上図右の柱にある像が、この図左の像と同じ。

 

上図の上部ステンドグラス 7s_00935

 

上上図左の拡大 7s_00933

 

再び、主祭壇方向を見る 7s_00931

 

パイプオルガンの次(東)のブース(地点K) 7s_00929

F. M. Kaňka, F. I. Weis, hlavní oltář kaple s ostatky sv. Zikmunda

F. M. blot, I. F. Weis, the main altar chapel with remains of St ,

 

7s_00934

 

7s_00942

 

上図左奥のステンドグラス 7s_00940

 

南を向くと、王の墓

王室霊廟(ハブスブルク王の墓) 7s_00943

メイン聖壇の前(地点L)。足が東側、頭が西(入口)側。

 

上図、背後のステンドグラス(南窓となる) 7s_00944

下部がトゥーン礼拝堂?

 

少し位置を変えて(右が入口方向) 7s_00954

Mauzoleum Habsburků, A. Colin, náhrobek z bílého mramoru s

ostatky Ferdinanda I., Anny Jagellonské a Macmiliána II. z let

1566 – 1589

mausoleum Habsburgs, A. Colin, the white marble headstone

with the remains Ferdinand I, and

Anny jagiellonian macmiliána II from years 1566 - 1589

 

主祭壇に近く(地点M) 7s_00945

3つの椅子は、大司教の司教座。

右に赤い垂れ幕が見える所がヤン・ネポムツキーの墓。

Opukový oltář, základem je oltářní menza zdobená na bocích

kruhovými medailony s postavami starozákonních proroků

opukový altar, the basis is Menza altar adorned with

circular medallions on the sides with characters old prophets

 

上図の上方 7s_00953

 

上図、背後のステンドグラス 7s_00952

 

右手に、王様のバルコニー(1500年代)(地点Z) 7s_00947

バルコニーから王宮まで廊下でつながっている。

(上図とほぼ同じ地点Mから)

 

北を向いたところに(地点P) 7s_00949

Stará sakristie, socha archanděla Michaela

Old here, statue Archangel Michael

 

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