ピレネー・バスク地方 (その18)

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ポー (その1)

 

  ポー (Pau) は、フランス南西部、ヌーヴェル=アキテーヌ地域圏、ピレネー=アトランティック県の県庁所在地である。ピレネー山脈の渓流、ポー川沿いに位置する。2012年の人口は78,506人。ポー都市圏には約22万人が住む。

 トゥールーズから A-64号線を西へ、約二百キロの距離にある。

 ポー観光の主目的は、フランス太陽王ルイ14世の祖父であるアンリ4世が生まれたポー城の見学である。

 主要な印象は

 ・疲弊を感じさせない(手入れの行き届いた)古都の営み

 ・豪華な子供向けタペストリーに囲まれた居住空間 (心豊かな成長を願って準備された絵画空間と、宗教戦争などに明け暮れた、成人後の一生との奇妙な対比)

である。

 

ガヴァルニーからポーへ(車窓から)

 ガヴァルニーからポーへは、西北方向に約百キロの距離にある(車で50分)。

 

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ピレネーの高い山が見える 7s_08755

 

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ポー

 

 地名の由来について、見張りのための砦が築かれたことから、オック語の「杭」を意味する語 pal にちなんで命名されたという説がある。

 太陽王ルイ14世の祖父であるアンリ4世(1553-1610、ブルボン王朝の始祖)が生を受けた地として知られる。14世紀にフォワ伯ガストン3世がポー城を改築、後に、フランシスコ1世らナバラ王家の人々の居城となった。1464年、ポーはベアルン地方の首都となった。16世紀にはマルグリット・ダングレームがこの城で暮らし、その娘のジャンヌ・ダルブレが、ここでアンリ4世となる男児を出産した。

 ポーは保養地としてイギリス人に愛された。ピレネー山脈を望むピ レネー大通りも有名。

 

ポー市街図

  

ポー駅(バスから) 7s_08800

 

奥がポー城の南側面(駐車場近くからの風景) 7s_08810

鐘楼はガストン3世時代から残っているもの

 

上図の右側、ポー城より東にある建物 7s_08811

 

同上 7s_08812

 

フニクラのすれ違い 7s_08815

 

初夏の大樹 7s_08819

 

フニクラ下部駅 7s_08816

(駐車場からここまで徒歩で移動、約20分)

 

フニクラ上部駅(ロワイヤル広場) 7s_08825

 

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サン・マルタン教会 7s_08833

 

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サン・マルタン教会の後部(南側) 7s_08829

 

世界大戦の兵士慰霊碑(上図の部分) 7s_08830

 

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アンリ4世通りには古いホテルや住宅、レストランなどが立ち並ぶ

 

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ポー城 Le Château de Pau

 14世紀から19世紀にかけ、王侯の居城として幾度も増改築がおこなわれてきた。現在、内部は国立博物館になっており、ガイド・ツアー(説明はフランス語のみ)で見学できる。

 

ポー城入口付近 7s_08842

右の建物と中央の門はナポレオン3世時代(19世紀後半)の建築

左の鐘楼はガストン3世時代(14世紀)から残っているもの

 

入口(一部分) 7s_08845

 

入口を入ったところ 7s_08852

中の建物はルネッサンス時代のもの

 

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中庭から入口方向を見る 7s_08930

 

入口の両端に頭文字 7s_08933

 

マリー・ド・メデシス(王妃) 7s_08848

 

アンリ4世 7s_08849

 

入口の中壁にある肖像 7s_08850

 

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南側の建物の、くり抜かれたドームから 7s_08857

 

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